この映画との出会いは、芸術学を専攻していた学生時代のことだ。
もっとも私などは好きなものばかり追っかけまわすいい加減な学生で、
テキストの言葉など思い出そうにも何ひとつ思い出せないありさま。
けれど何本かの印象的な映画との出会いは、今も鮮やかに心に焼きついている。
きっと学生時代だからこそ出会えた宝であり、この映画もそのひとつだ。
先日、深夜の映画番組で放送されたものを懐かしく拝見した。


「青いパパイヤの香り」はフランス在住のベトナム人監督、
トラン・アン・ユンが初めて撮った劇映画である。
彼はベトナム戦争を逃れ12歳でフランスに移住したため、
この映画も祖国ベトナムを舞台にしながら現地での撮影が叶わなかったという。
結果、全編スタジオでのセット撮影となったらしいのだが、
そのあまりの緻密さにこれがセット撮影とはにわかに信じがたいほどである。
何と言っても光と影が織り成す陰影が美しい。
溶け合いそうでいて、けれども溶け合わずひっそりと共存している。
暗闇に差し込む柔らかい光がものものの輪郭をそっと撫で明らかにする時、
アジア特有の湿気を含んだ色彩は、薄闇のなかでさえ艶やかだ。
私は現実のベトナムを見たことがないけれど、
監督の手によって驚くほど美しく描き出されたこの「ベトナム」には
彼の祖国への想いの強さを垣間見る思いがする。


舞台はサイゴンのある資産家の家。
まだ幼い少女ムイが奉公人として雇われて来るところから物語が始まる。
その家には有金を持ち出しては家出を繰り返す主人と優しく気丈な夫人、
3人の息子たちと、孫娘を失って以来2階にこもりきりの祖母がいた。
ムイは先輩の女中に教えられながら、懸命に一家の雑事を覚えてゆく。
そしていつの日か、彼女は長男の友人クェンに恋心を抱くようになる…。


「調和ある水の戯れの美しさにたとえ水が逆巻いても桜の木は凛として佇む」

これはクェンの妻となり、幼い命を宿したムイが朗読する詩だ。
ラストシーンのこの台詞に、監督はこの映画のテーマを集約している。
おそらくは彼の人生観であり、映画では主人公ムイの生き方そのものでもある。
ムイは始終多くを語らず、感情をあらわにすることもせず、
目の前で何が起ころうとも黙々と働き続けている姿が印象的だ。
何かをじっと信じているような、濁りのないまっすぐな瞳をして。
そして、その献身と揺らぐことのない想いは
やがてクェンの心を動かすようになる。

戦争のような争いごとや、憎しみや、悲しみ…
移り行く時代のなかで翻弄され、たとえ逃れようのない運命の波に襲われても
決して惑うことなく生き、また次代へとその生命を繋ぐことの
素晴らしさを監督は伝えたかったのだろう。
地面を這う蟻やふたつ割りにしたパパイヤの種子のクローズアップ、
またムイが炊事場で立てる水音や蒸し暑い夜の虫の音などは
まさにみずみずしい生命力の象徴であり、生きることへの讃歌なのだと思う。
朗読を終えたムイが、あ、と小さくつぶやいて膨らんだおなかに手を当て、
そっと微笑むシーンもまた、新しい生命への希望に満ちて美しい。


彼の映像へ傾倒ぶりには好き嫌いが別れるかもしれないけれど、
私はその後の映画を拝見していても、決して嫌いではない。
美しいものを美しいままに描き出そうとすることは、
この世界と生命の可能性を信じていることでもあると思うのだ。


余談だが、授業で初めて観た時に「調和ある水の戯れの~」の
一節は、彼が愛読する日本の小説からの引用なのだと聞いた。
たしか漱石だったと思い、資料を探そうとしたが見当たらない。
やはりいい加減な学生、まったくもって当てにならないものだ。
読んで下さった方でご存じの方もいらっしゃるだろう。
…なんだか申し訳ない気がする。

ただこんな私も、ひとつだけはっきりと覚えていることがある。
それは、監督にこの美しい陰影のインスピレーションを与えたのが
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」であったという話だ。
どうしても読みたくていても立ってもいられぬ気持ちになった。
当時の私にとって、この映像の美しさはそれほど衝撃的であったのだ。
今のようにネットで本を探すなど思いもつかなかった頃のこと。
無学無教養な私は、講師の口にした「インエイライサン」の
音だけを頼りにひたすら何軒もの本屋を探し回ることになった。
今考えれば、あまりに要領が悪く滑稽な思い出ではある。

この記事を書きながらわが家の小さな本棚をのぞいたところ、
背表紙が随分と色褪せたそれがちょこんとあった。
懐かしくて、愛おしくて、やっぱりちょっと笑ってしまった。

コロムビアミュージックエンタテインメント
青いパパイヤの香り

【文中で紹介の書籍】
谷崎 潤一郎
陰翳礼讃