予定していた絵の教室がお休みになったので、
久しぶりに竹橋の東京国立近代美術館 まで足を伸ばした。
3月30日(金)から5月27日(日)まで開催されている
靉光(あいみつ)展 を観るためである。
以前テレビかなにかであったと思うが、
彼の代表作「眼のある風景」を目にして以来
いつかその作品を生で観たいと思っていたのだ。
今回は生誕100年ということで、
現存する作品が少ない画家でありながらも
「眼のある風景」を含め130点という作品を網羅した回顧展である。
混雑を覚悟していたので、平日にふいにできた時間をこれ幸いと、
今にも降り出しそうな雨空にも関わらず
そそくさと電車を乗り継ぎ、出かけたしだいである。

美術館はやはりこの天候のためか、
あるいは普段は毎月曜が休館であるためなのかもしれないが、
ほどよく空いていて、おかげでゆったりと作品を眺めることができた。
年代や傾向によって4つの章に分けられた展示と解説もまた、
初めて観る私などにとっても理解を助けてくれるありがたいものであった。


求める真実を探るべくひとり孤独にモチーフと向き合う「静」の部分と、
溢れんばかりの情熱を筆にのせて格闘し続ける「動」の部分。
彼の絵はたとえば弱さと強さ、生と死、そういった一見相反するものが
熱を帯びたその画面のなかに同時に存在し支えあっているように感じられた。
モチーフと自身の深い内面を行き来するような彼の作品は
決して観る者に容易な定義づけや解釈を許すようなものではないけれど、
その妥協を許さない揺るぎない眼差しの強さには何か
彼の画家として覚悟のようなものを感じずにはいられなかった。
思わず私は「業」という言葉を思った。
これが彼の画家としての業というものなのかもしれない、と。

戦前戦中の激動の時代、短い生涯を自らの絵と自分自身と闘い続けた靉光は
見つめ続ける眼差しの先に何を探していたのだろうか。
果たしてそれは見つかったのだろうか。
晩年に描かれたという3点の肖像画は、それぞれに異なる趣を持ちながらも、
いずれも前方を見つめる眼に強い意志を感じさせて興味深い。
ぐんっと前を向いて立ち向かうようなその姿に、
彼の絵は、やはり観る者にも覚悟が必要なのだと身が引き締まった。


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東京国立近代美術館HP